12月18日 宮崎県庁
フェニックスや大きなサボテンのある南国情緒たっぷりの前庭に、
重厚でクラシックな建物という妙なマッチング。

ことし5月以来、2回目の宮崎。
3日間で、宮崎の特産品の生産者をいくつか取材して廻った。
その中には、いまや宮崎のトップセールスマンとなった
知事への取材も含まれていた。
取材の前日に課長クラスの人と事前打合せをしてから
取材本番へ臨むという段取り。
その日、取材は7件はいってるという。
1件15分が基本で、この取材に30分時間を割いてくれるのは異例です。と
県庁の人は語っていた。
知事室で取材、撮影が始まるまでには
知事室のひとつ手前の応接室で待ち、さらにその前は秘書室で待ち
そしてさらにその前は廊下のドア前で待つという
一コマづつしか進めない、すごろくのように
取材チームは順番待ちする。
前日から入ってるので、知事室のドアを開けて
接見したときは、やっと会えた〜ッ。という気分。
県庁は昭和七年にできた。
外観、内観ともにクラシックで格調のある建物だ。
門のところにも地元のテレビ局らしいクルーが陣取っていた。
開かれた県庁というか、東国原効果か、
観光客がぞろぞろとガイドに引き連れられ
知事室の前の廊下をきょろきょろしながら歩いていた。
フェニックスのある前庭では、記念写真をとる観光客だけでなく
地元の幼稚園児たちが、のどかに日なたぼっこしていた。
重厚でクラシックな建物という妙なマッチング。

ことし5月以来、2回目の宮崎。
3日間で、宮崎の特産品の生産者をいくつか取材して廻った。
その中には、いまや宮崎のトップセールスマンとなった
知事への取材も含まれていた。
取材の前日に課長クラスの人と事前打合せをしてから
取材本番へ臨むという段取り。
その日、取材は7件はいってるという。
1件15分が基本で、この取材に30分時間を割いてくれるのは異例です。と
県庁の人は語っていた。
知事室で取材、撮影が始まるまでには
知事室のひとつ手前の応接室で待ち、さらにその前は秘書室で待ち
そしてさらにその前は廊下のドア前で待つという
一コマづつしか進めない、すごろくのように
取材チームは順番待ちする。
前日から入ってるので、知事室のドアを開けて
接見したときは、やっと会えた〜ッ。という気分。
県庁は昭和七年にできた。
外観、内観ともにクラシックで格調のある建物だ。
門のところにも地元のテレビ局らしいクルーが陣取っていた。
開かれた県庁というか、東国原効果か、
観光客がぞろぞろとガイドに引き連れられ
知事室の前の廊下をきょろきょろしながら歩いていた。
フェニックスのある前庭では、記念写真をとる観光客だけでなく
地元の幼稚園児たちが、のどかに日なたぼっこしていた。
某日 宮崎 漁師

ことし5月に宮崎で定置網の取材の際、
漁船に同乗させてもらった。
早朝、船着き場を出て漁場へ向かうまでの間
漁師のAさんはひとり他の若い漁師たちとは離れて
漁船内の後部のある一角に腰をおろし
瞑想しているかのように
じっとうつむいたまま目を閉じていた。
そこは漁船の中ではAさんの定位置のようで
人ひとりがうまく座れるスペースがあった。
海がシケて漁が休みでないかぎり、
毎朝そうやって
これから始まる漁のことか、
また家族が抱えてる問題のこととか考えてるのか、
それとも、昨日ツキがなかったことをふりかえってるのか
前向きに明日を想像してるのか。
漁場へ着くまでの20分間をじっとうつむいたまま過ごしてる。
もしかしたら、ただ眠いだけなのかもしれないけど。
たぶん、今朝もAさんは日向灘の風をうけながら
あの定位置であのカタチで20分間を過ごしたんだろう。
5月某日宮崎 定置網漁

宮崎県の網元の家に伝わるもてなし料理の取材で定置網漁を体験することに。
朝6時出港の時間に合わせて、
前泊の日向の宿をでて延岡にある網元の邸へ。
邸の目の前に船着き場がある。
若い漁師、ベテラン漁師合わせて10人くらいが乗船。
「おはようございます。よろしくお願いします。」と
挨拶しながら漁船に乗り込み、いざ出航。
日向灘沖、朝の日差しに向かって船はゆく。20分ぐらいすると
そこの先々代が大正時代にブリ漁のために考案したという定置網の漁場に到着。
網の袋小路になった先の部分にひとまわり小さい漁船が網の先を確保し
2、3百メートルくらい(?)離れた入口側から母船が船体を横にしてゆっくりと
網を手繰ってはおろし手繰ってはおろしを繰り返しながら
魚たちを追い込んでゆく。
母船側から網を手で手繰る人、機械で手繰る人。
小船側から網をしっかりと確保する人。
それぞれに役割があって
それぞれが呼吸がしっかり合ってないと
網の面積がバランスよく狭まっていかない。
漁船と漁船の間が2、3メートルくらいになると
魚たちがピチピチ跳ねながらうごめきあってる。
その日はあいにくと不漁で
大物は大きな鯛が7、8尾ぐらい。
あとはイワシ、アジなどの小魚。
ほうぼう、太刀魚の小さいのもいた。
大漁か不漁かは網を揚げるまでわからないとのこと。
かつて、その昔は1回の漁でブリが何十本も揚がったらしい。
その中で1メートル50センチくらいの赤い細長い魚が
網の中で8の字を描くように勢いよく動き回っていた。
あとで聞くと海ヘビということだった。
ときにはマンタ、サメ、マンボウなどの珍客がかかることも。

中でも最年少らしき漁師が鯛をもってポーズをつくってくれた。
12月9日 熊本から鹿児島へ

取材2日目
午前中、ときおり小雨が降る中、
取材先の営業の方に案内され熊本の町を撮影。
市電の上熊本駅にレトロなデザインの車両が停車していた。
裏側に古い建物のJRの駅舎があり
その一部を保存することになっている。
市内を市電がトコトコ行き交うことで、
町のリズムがつくられてる。
熊本での撮影を終えて
クルマで鹿児島へ移動。
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じつは、油断して薄着してたからか
朝からずっと悪寒とゆるい吐き気につきまとわれ
皮肉にも熊本での昼食は昨日に続き、
取材先S社のご好意で馬刺しづくし。
夜は鹿児島で取材先M社のご好意で黒豚づくし。
この豚しゃぶのスープを飲めば一発で治ると
社長からすすめられ無理して体に流し込んだ。
12月8日熊本 「グッタイム・チャーリー」チャーリー永谷さん

きょうからレギュラーの仕事の取材が始まった。
朝の飛行機で羽田から熊本へ。
取材1日目
熊本にあるS社とF社、2件の取材を終えて、市内の繁華街へ。
下通りのアーケード街というのがとにかく広い。そして天井が高い。
そこへまた、人がいっぱい。
公務員のボーナス日ということで、一年で一番か二番目に人出の多い日です。と
同行した取材先のF社の営業マンが言ってた。
晩ごはんを食べた後、今日取材でお世話になった
お菓子メーカーF社の社長の友人がやってる
カントリーのライブハウス「グッタイム・チャーリー」へ。
その友人というのは、チャーリー永谷さんという方で、
かつて、60年代から日本や東南アジアの米軍キャンプで演奏活動していた。
その後も、キャノンボールというバンドをひきいて音楽活動を続け
カントリー音楽の普及に貢献したということで
クリントン大統領から夕食会に招かれたこともある。
日本よりもアメリカでのほうが知名度が高い方。
きょうのライブに、
同行したF社の社長がスチールギターで飛び入り参加。
時々、深夜ここでスチールギターを演奏することで
明日へのエネルギーを充電してるとのこと。
チャーリーさん、ノビのある声で
カントリーをエネルギッシュに歌いまくり
ライブの後は、気さくにこちらの会話の中に入って談笑タイムになる。
また、バイオリン弾いてるバディ白石さんがシブく光ってた。
このチャーリーさん率いる「キャノンボール」からは
いままでに80人くらいのミュージシャンが巣立っていったそうです。
店内は、アメリカンなグッズがびっしりと飾られていて
客層も年輩の方が目立つ。
アットホームで楽しい店でした。


